202007出羽三山
7月のオリンピックが行われるはずだった連休につなげて夏休みをとった。
杜王町の両親のところに顔を出してから軽く東北の山にでも行こうかしらんと考えていたら、また新型コロナの感染者数が増えてきて、東京の新規感染者が日に200人を超えるような状況になってしまった。両親もそれなりの年だし、まあ来なくていいよ、という感じになったので、おまけで考えていた出羽三山にだけ行くことにした。
出羽三山というのは、羽黒山、月山、湯殿山の3つで、羽黒山と湯殿山はバスで行かれる。羽黒山はちょっと離れているので先に行って、月山に登って湯殿山に下りてくる算段である。
7/19に出発。東京7時発のはやぶさに乗ると仙台に8時半頃に着く。広瀬通のバス乗り場に行くと、東京方面行きの高速バスは大幅な減便であった。そこから鶴岡行きのバスに乗り、鶴岡から月山八合目行きに乗り換えて、途中の羽黒山の宿坊街で降りる。13時半には到着してしまった。
宿は、宿坊「大進坊」。記帳して部屋に案内してもらうが、十八畳間に一人である。他に客の姿は見えない。
荷物を置いて、すぐ羽黒山に向かう。宿の人の話では、羽黒山の石段に、昔の絵が33個彫ってあり、10個見つけられると幸せになるという話だ。見つかるか知らん。
羽黒山の随身門をくぐるとすぐに杉並木の石畳がはじまる。橋を渡ったり滝を見たりしながらしばらく進む。石畳が曲がったその左手にふっと五重塔が出現した。
あるのは分かってはいたものの、不意をつかれたというか驚いてしまった。
森の中に忽然と現れる五重塔。そのロケーションも含めて国宝なんだろうな。
人も少ないので、端整な五重塔を30分ぐらい眺めていたら、屋根の反りがイカに見えてきたので先に進む。
しばらく進むと急な石段になり、途中の茶屋でお茶を頂く。雲は多いが庄内平野だろうか、眼前に下界が広がる。
もう少し登ると南谷との分岐があり、せっかくなので人気のない南谷経由で山頂の出羽三山神社(羽黒山、月山、湯殿山の三神を合祀している)に到着。上の方は車で直接アクセスできるので味気ない。また石段を下って、降りる。
石段に彫ってある絵は、はっきりわかったのは5つぐらいであった。
宿坊に帰って話を聞くと、もう一組泊まっているという。百人以上泊まれる宿に二組か。コロナ禍恐るべし。
夕食は山菜中心の精進料理で、胡麻豆腐が絶品。だだちゃ豆にはちょっと早かったらしいが、地元の料理がたくさん並んだ。神道ということで、野菜だけではなく鮭も出た。
翌朝、7/20。ご祈禱に参加してからバスに間に合うように早めに朝食を頂いた。トチ餅が面白かった。登拝のための力餅だという。良い宿でした。リピートしたい。
7時半に、行きに乗ったのと同じ月山八合目行きのバスに今度は終点まで乗る。工事で県道を迂回するので遅れるかもしれないということで焦ったが、時間通りに付いた。
焦ったのは、湯殿山に下りる時間の制約があるからだ。普段の夏は湯殿山までバスが入るのが、今年は運行せず、代わりに少し安め(といいっても一人なのできつい)のハイヤーに乗らなくてはならない。それが湯殿山側の有料道路が閉まるまでしか待てないということで、1630までには下山しなければならないのだ。
すぐに支度をして歩き始めるが、八合目なので登山道はいきなりお花畑である。東北は標高が低くても北アルプスあたりの2000mぐらいの感じになるので、そういうところが良い。大丈夫だと思うが時間が気になるので、写真を撮りながらも一生懸命歩く。変な飛行機雲が飛んでたり、地蔵があったり、見てるとなかなか進まない。雪渓というか残雪の上を歩いたりして気持ちが良い。なんだかんだで12時前には月山山頂神社に到着。急いだ割には久しぶりだったからか、コースタイムと大差がない。
月山神社は、戦前は東北唯一の官幣大社だった由緒ある神社である。来づらいけど。
御祓いをしてもらって、コロナ終息を祈願してお参り。
よい景色を見ながらお昼を食べて、湯殿山への下りである。以前、8合目からピストンで月山に登ったことはあったので、ここからははじめてである。
下り始めると右側に大きな残雪があり、そちらに下る人が多い。スキー場のリフトで上がってこられるらしい。
スキー場に下る人と別れるとめっきり人が減る。湯殿山コースにはハシゴ5連続があったりして大変なのだ。今年は交通的にも不便だし。花や沢、残雪を見ながら静かな山歩き。
途中、装束場まで降りてくると湯殿山が見える。登山道は山頂は通らず、ここからハシゴのくだりになる。ハシゴは織り込み済みだったが、その後、雪解け水で登山道が川になっており、滑りそうでやたら時間をとられた。下りてきたら足もがくがくになっていた。久しぶりだからなあ。
湯殿山の本宮のあたりは写真禁止だったり、聞かず、語らず湯殿山、ということらしいです。
後半、ちょっと焦りましたが、15時半過ぎには無事下山、ハイヤーで駅まで帰りました。そのまま東京にも帰れそうだったけど、読めなかったこともあり、駅前のビジネスホテルに泊まって、もう少しだけ観光をした。ホテルはスーパーホテルという雑な名前だったが、新しくて設備もちゃんとしてて朝食もついてて良かった。
翌日、ここからは蛇足だけど、くらげで有名になった加茂水族館に行って、帰りに荘内神社のあたりで下りて少し歩く。滞在時間が少なかったけど、こじんまりしててちょうど良かった。
帰りは、特急いなばに乗って日本海を眺めながら、新潟経由で帰りました。
鶴岡は駅前が栄えてなくて、あまり美味しいものは食べられなかったのが残念。とはいえ、宿坊のご飯が美味しかったから十分か。
気象予報士をとりました
外出する機会がなくて書くことがないので、忘れないうちに去年とった気象予報士のことを書いておきます。
何でとったかというと、暇だったからというのが大きいのですが、もともと気象というか自然現象一般に興味はあるので本を読んだりはしていたんですね。
『一般気象学』(小倉義光、東京大学出版会)
『日本の天気』(同)
などです。何かの拍子に『一般気象学』が事実上の気象予報士試験の出題範囲だというような話を読んで、じゃあ、頑張れば受かるかもな、と思ったのです。
(それは学科一般の話で、それ以外に学科専門と実技があることを後で知るのですが)
それから、日本には四季がある、なんていい方をしますが、上記の『日本の天気』を読むと、やはり日本の気候は世界で一番変化に富んでいるといって良い。そういうことなら、一度ちゃんと勉強したら面白いのではないかとも考えたのです。
・中緯度に位置している。
・大陸の東岸に位置している。
・水蒸気が豊富
・アジア・モンスーンがある
最後以外はアメリカ東海岸も同様で、NYを寒波熱波が襲ったり、フロリダにハリケーンがやってきたりしますが、やはりチベット高原を有するユーラシア大陸、黒潮流れる太平洋の影響は一味違うらしい。モンスーンは日本では梅雨として現れますが、四季ではなくて、梅雨を加えて五季だ、という人もあるらしい。
確かに、海外旅行してみても、hot, hotter, hottestの3季だったり、乾季と雨季だったり、日本ほど明瞭で多様な変化は少ないように思います。
その他の興味としては、今の天気予報ってほとんどコンピューターの力でやっているんですよね。数値予報といいますが、地球を格子状に細分化したモデルを用いて、さまざまな物理量をスパコンをゴリゴリまわして計算し、将来予測を行っている。これは地上だけでなく上空80kmにまで及びます。物理量を天気に変換するガイダンスと呼ばれる過程では、ニューラルネットワークも利用しているそうです。
GAFAの技術が如何にすごいとしても、最終的なゴールは広告収入かと思うとがっかりします。銀行の基幹システムがノンストップでものすごいトランザクションを処理するといってもルネサンス期の複式簿記の発明からどれだけ隔たりがあるというのか。
ITの使い方として、数値予報のような「世界の再現」というのはとても夢があると思うのです。
試験のことを少し書いておきます。
・1月と8月の年2回。(6ヶ月毎ではないのに注意)
・学科が一般と専門の2科目。合格すると科目ごとに1年間(2回)、再受験を免除される。
・実技が1回(2問出題)。実技は学科が両方受かってないと採点されない。
という仕組みになっています。
僕は、令和元年度2回目(通算第52回)で学科だけ受けて合格、令和2年度1回目(通算第53回)で実技に合格して、気象予報士の資格を得ました。
学科は分かるんですが、若くないので忘れるスピードも早くて、覚えるのと忘れるのが平衡状態になってしまい、焦りました。
実技は、準備するのが遅くて時間を掛けられず、受験後は3:7で落ちたと思いましたが、ぎりぎり受かってたようです。有効な教材が少ないことと、必ずしも一意に正解が決まらないこと(読み取り誤差などによる)、試験時間が短いことが障壁でした。この時代なので動画解説をたくさんみることと、試験問題の誘導が親切なのでそれにきっちり乗っかることで、何とかクリアできたと思います。こちらも、細かい等圧線の読み取りで目はショボショボ、肩はバキバキになるし、全体的に自分の老化との戦いだったような気がします。
気象予報士になっても自分で予想するのではなく、当然気象庁の天気予報をみるのですが、確度を気にするようになったのが違いかなと思います。当たりやすい天気と予測しにくい天気があるのです。それから、地上天気図だけでなく、高層天気図も眺めて立体的な構造を意識する。コロナで引きこもる時間が増えましたが、いい時間つぶしができたと思っています。
202003金沢
しばらくたってしまったが、3/20-22の連休で金沢に行ってきた。
目当ては、21世紀美術館のジェイムズタレルと谷口吉生の美術館2つ。あとうまいもの。
新幹線に乗ると東京から金沢まであっという間。駅で早速寿司を食べてから、バスに乗って一番大きいひがし茶屋街へゴー。小雨が止んだばかりで濡れた路面に、レンタルがあるのか着物の女性が歩いてたりして雰囲気がある。
だがしかし、おっさん一人だと微妙な感じでもある。ガイドブックには上の寺から茶屋街を見下ろせるようなことが書いてあったが、木が伸びていて全然見えなかった。
川を渡って、もう少しこじんまりとした主計町茶屋街の方が暗くて雰囲気が残っているのかもしれない。近くに泉鏡花記念館もあり、ファンとしてはうれしい。小村雪岱の表紙の絵葉書を買ったりする。
あとは、夕食まで、麩饅頭でお抹茶飲んだり、夜の武家屋敷をふらついたり(特段何もなし)して時間をつぶして、ホテルの近くの近江町市場に行く。
目当ての店は混んでいて、1時間なら、ということで入れてもらったが、ノドグロのおつくりやガスエビなど、どれも美味しかった。エビは刺身で食べた後、頭をから揚げにしてくれた。最後はカニちらしで〆め。
ホテルに戻り、熱心に観光しすぎて頭が痛くなったので、ロキソニンのんで寝る。
■二日目。
昨夜は近江町市場が終わっていたので、朝から両親へ送るカニを買いに再訪。二人とも3月末が誕生日なのだ。石川県ブランドの加納ガニとドノグロを無事送る手続きをして、メインの21世紀美術館に向かう。
想像していたが、妹島和代の21世紀美術館は学生の卒業設計みたいでやっぱり好きじゃない。建物の機能として作るべきところを作らずに運用対処してるようなところもあるし。チケット売り場に長蛇の列ができていたが、見たいジェイムズタレルの常設の作品は無料ゾーンにあるのでさくっとは入れる。これも知らなかったらどうだろうか。タレルの作品は「ブルー・プラネット・スカイ」。
タレルの類似の作品は直島と新潟にもあるが、ここは手軽に見られるのがよい。
すみずみまで丹精に作られていて、しゃっきりした気分になる。
次は武家屋敷。行ってみると、見学しようと思っていた野村家が新型コロナの影響でしまっていてがびーん。ちなみに、美術館も含めてしまっていたのはここだけであった。
気を取り直してまたお抹茶飲んでふらつく。みやげ物も売ってて、自分用に九谷焼のポットを買う。分からないなりに熱心に見てたら、お好きなんですか~と声をかけられて申し訳なくなる。
白山ではなさそうだが、雪をかぶった山が見える。雪が少ない年だが、雪解け水で犀川の水量も豊かだ。鏡花の小説に出てくる医王山や白山にもいつか登りたいと思う。
さて、もう一つの谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館。2019年の夏にできたばかりだという。1階に建築の展示、2階に和室がある。この和室は吉郎が設計した赤坂離宮の「游心亭」を吉生が完コピしたものだそうな。
少し歩いて西茶屋町に行くが、通り一本だけであまり面白くない。また和菓子屋さんでお茶を飲む。ずっと和菓子とお茶を飲んでいるので、全然お腹が減らない。
お腹が減らないので、その辺の地下街で適当に済ます。なんだかもったいない。
■最終日
雨。関東だと雷は夏のものだが、北陸では冬に雷が多い。温度が低いので雲が低くても発雷するらしい。地上との距離が近いので被害も大きいという。鏡花が雷嫌いだったのは、関東の入道雲から落ちる雷ではなくて、この北陸のどんよりした低い雲から落ちる雷だったんだな、と思ったりする。
せっかくなので小雨の中、金沢城にも行ってみるが、大きくてどこを見たら良いんだか分からなかった。桜の時期はきれいなんだろうな。
駅でお土産を冷やかしたりして時間をつぶし、新幹線で帰る。帰りはより空いていた。
その後、急速に新型コロナの影響が広がって、外出自粛やテレワーク圧が強くなってしまったので、行っておいてよかった。
201911チェンマイ
ずいぶん久しぶりに海外に行ってきた。
11月満月の晩にチェンマイで行われるお祭りがあって、ずいぶん前から行きたかったのだ。
コムローイとかロイクラトーンとか言うのだが、灯篭を流したり(ロイクラトーン)、ランタンを打ち上げたり(コムローイ)するのだ。大量に。
コムローイ上げは町中でも地元の人がやっているらしく、最初はそれをみればいいかと思っていたが、大きな会場で数千人がいっぺんに上げるイベントが何箇所かで行われており、是非ともそれを見るべきだという話を聞いたので、直前に予約していくことにした。
手配をお願いしたのはこのナラツアーという代理店で、悪くなかったです。
飛行機は、チェンマイ行きがドンムアン空港からなので、ドンムアンに着くようにLCCを使う。行きがScootで帰りがAirAsiaである。
11/10(日)NRT→DMK(Scoot)
11/10(日)DMK→CNX(Nok)
11/13(水)CNX→LPQ(ラオス航空)
11/15(金)LPQ→DMK(AirAsia)
11/16(土)DMK→NRT(AirAsia)
ついでにルアンパバンにも行くことにして、チェンマイ3泊ルアンパバン2泊にコンパクトにまとめたつもりだったが、フライト5本航空会社4社でめんどくさい。
■11/10(日)
成田までは東日本橋から一本でいけるので簡単だ。
空港は意外と混んでいて、手続きを済ませてからゆっくり何か食べようと思っていたら時間がなくなってしまい、おにぎりをを2つ、あわてて詰め込む。LCCなので機内食がないのだ。機内食は食べないで済ませてしまうこともあるが、なければないで考えなければならないのでやっかいだ。
飛行機に乗り込んでうとうとしているうちに、もう飛んだかと思って目を開けたらまだ地上にいる。なかなか飛ばず1時間遅れで飛び立った。
ドンムアン空港では、降下して着陸するかと思ったら再加速して急上昇。アナウンスでは風が強いので管制の指示待ちとのこと。着陸寸前までいって辻褄があわないようだが、平らで暑いので海風が吹き込んでくるのか。なんだかんだで定刻に着いたものの、初LCCの印象はよろしくない。
ドンムアン空港では、次のチェンマイ行きのフライトまで4.5h待ちである。
とりあえず、国内線の奥にある昔ながらのフードコートでカオマンガイなど食べて落ち着く。やっぱりタイ料理はうまい。後で国際線ターミナルの方に引き返したら、そちらのフードコートが近代化されてて驚く。そういえばチェンマイが20年ぶりなら、ドンムアンも10年以上きていない。
チェンマイへは普通について、タクシー150Bで宿に到着。古民家風のつくりでよさそうな宿だ。
遅くなったのでセブンイレブンに行って食べるものを買う。タイにはどこにでセブンがあるので安心です。
■11/11(月)
早速、イベントの日。コムローイを飛ばすのは夜だが、午後から半日がかりである。
午前中は寺などをうろうろして、カオソーイやソムタムを食べる。安くて美味しいなあ。最高だ。
宿に戻って一休みしてから出陣。
集合は14時にパークホテルの宴会場。赤いソンテウに乗って100B。大きい会場で、段取りなどをいろいろ説明してくれたり、お弁当が配られたり。同じ車に乗る日本人はそっけない。現地の案内は日本語学校の生徒がしてくれるそうだ。驚いたのは、僕の車番号は22で最後だったのだが、要するにこの旅行代理店の手配だけでマイクロバスが22台出るということだ。そりゃ大ごとだ。
夕方、会場入り。チェンマイ市街をぐるっと迂回したからか時間が早いからか、渋滞などなし。入り口で食べ物の交換券やお土産を貰ったりして、入場する。
屋台的なものが並んでいるが、パッタイとか人気のものは行列もすごい。貰ったお弁当がありがたいが、座って食べる竹やぶの中のベンチもいっぱいだ。少数民族の歌やインスタ映えスポットなどを眺めているうちに時間になる。
一応宗教的なイベントなので、前座のお祭り会場から広いイベント会場に場所を移す。会場の隅に池があるのだが、既に写真狙いの人がスタンバっていて池越しに銃列を並べている。
だんだん暗くなり、満月が昇っていく。そうこうするうちに、読経とか瞑想とか始まって、ついにコムローイ上げである。アナウンスは、タイ語英語のほか、日本語中国語でも流れているので大丈夫だ。
コムローイは結構大きくて、一抱えぐらいもある。3人ぐらいで一組になって、持って、火をつけて、熱気球の要領で暖かい空気が溜まるのを待って、手を離すと上に飛んでいく。1人に1つ配られたので、3人で3回あげるような按配だ。カウントダウンも3回行われた。せーので一斉に上げるとネットでみるような写真になるが、上げたり、見たり、写真や動画を撮ったり実際は忙しい。隣の中国人の女の子と一緒に上げたのだが、ごついカメラを持っていたらTikTokの動画みたいのを撮ってくれといわれたので、それも忙しい。とにかく慌しさも相俟ってグルーヴ感があってよかった。撮った写真は広角なのですかすかしているが、実際にはもっとみっしり感じられる。よくネットに上がってるのは、遠くから望遠でさらに圧縮して撮っていると思う。
マイクロバスで戻って解散後、当初見ようと思っていた町中のピン川沿いを歩いてみる。大会場は日本人と中国人が多かったが、こちらは白人が多い。ぱらぱら単発であがっていて、これはこれで見ものではあるが、大会場で一斉に上げるのとはやはりわけが違う。上げてるのも地元の人より白人がウェーイという感じなので、大会場に行くのがやはりお勧めだ。
どこかでちょっと飲んで帰ろうと思ったがどこも混んでいるので、セブンイレブンで缶ビールを2本買う。セブン万歳だ。
■11/12(火)
もうメインイベントが終わってしまった。ぶらぶら食べ歩こうと思うが、昨日ビールを飲んだせいか腹の調子が悪い。10時頃落ち着いたのでゆっくり出発。
郊外のドイステープに行く。北門からソンテウ。すぐ10人集まった。チェンマイ市街を見下ろせるが、ガスっている。昨日あれだけ燃やしたからな。
帰りは新しいピカピカのショッピングセンター、メーヤーで降りる。事前にネットでみてマツキヨとかまで入ってるなーと感心していたが、なくなっててかわりにツルハドラッグが入っていた。その他、やよい軒やココイチなど見覚えがある店がたくさんある。ぶらぶらした後、カオソーイ、カオマンガイなど食べて歩く。気温は30度ぐらいだろうか、猛暑の時期ではないとはいえ、歩いてると暑い。しかし乗り物に乗るもの面倒で、つい歩いて宿まで帰る。
夕方、お寺でやってる評判のよいマッサージに行く途中でコインランドリー発見。ターペー門の外側の北に少し行ったあたりで宿から近い。明日行こう。お寺のマッサージは混んでて入れず、その後も2,3件待ち時間ありで、結局ワット・パンタオの近くの店に入った。ワット・パンタオはライトアップとコムローイを上げるのが有名なのだが、しばらく待ってもなにも始まらない。すごく混んでいる。昼から待っている人もいるようだ。やっと20時ぐらいになって、今日はセレモニーはなし、ライトアップだけだというアナウンスが流れて、全員ズッとなる。帰る。
■11/13(水)
朝、昨日見つけたコインランドリーのotteriで洗濯。朝の方がすいてるだろうと思ったが、ゲストハウスの人と思しき人が大量のタオルを洗ったりしてて混んでいた。これでもう旅行中の服は安心だ。
昼前、宿を出て空港に向かう。R3のバスで行くはずだがなかなかこない。暑い中、30分以上待って疲れた。タクシー(赤ソンテウ)に乗ってしまったほうがよさそうだが、バスだと30Bでついた。節約したのに、昼は空港のバーガーキングで食べたら300Bもして驚く。
ルアンパバン行きの飛行機は小さくてかわいい。雲も上から見るとまた違う。低いところで雲頂が一様に抑えられていて面白い。上は晴れていて、下界は小雨模様である。降りてくるとメコン川も見える。
空港で1000B両替。短期で移動すると通貨感覚が分からなくなる。10,000Kipで30Bで100円ぐらいか。空港のレートが一番よい。空港から町まではタクシー50k。メコン川支流のカーン川沿いで小綺麗な宿だ。
スーパーやナイトマーケットをぶらぶらする。夕食はビール込みで120k=400Bぐらい。いい店だったとはいえ、物価はチェンマイより少し高い。ラオスの完全にローカルな物価は安いと思うが、外国人向けだとそれなりになってしまうのだろう。カメラの電池の残量が心もとない。
■11/14(木)
5時に起きて、宿の自転車で托鉢をみにいく。想像はしていたが、坊さんより観光客の方が多くてなんともいえない気分になる。先日、正眼僧堂の托鉢をTVで見たばかりだったので、ここの坊さんはずいぶん楽してんな、とも思う。まあフラグは立てた。
ぐるっと自転車で川沿いを流して、プーシーの丘に登る。階段も急で、暑い時間には辛いなと思う。景色がよい。ここからのよくある写真は、メコン川じゃなくて、カーン川方向を撮っているようだ。自分の宿のあたりもよくみえる。
戻って朝食。パンがフランスパンだ。
また自転車に乗って、寺めぐり。王宮博物館はロッカーに荷物を預けたり面倒なわりに見るものがあまりない。乾季にだけ架ける竹の橋を渡ったカフェで何か食べたりして、やっと正午だ。早起きしたから一日が長い。なんだかんだで熱心に観光してしまう。
午後はメコンの対岸に渡ってみる。フェリーは自転車込みで10k(人だけだと5k)。乗客がいっぱいになるまでしばらく待つが、動き出したら5分の航海。寺までは最初に右折するだけであとは一本道で迷うところもないが、自転車のブレーキが利かなくて怖い。階段の下に止めて、10k払って短いが急な石段を登ると、メコン川越しにルアンパバンの核心部が見える。足元には黒い子猫が寝ている。
夜飯は、チムチュムというイサーン地方の鍋があったので入ってみるが、英語が通じない。カーオが通じてご飯を持ってきてくれてうれしい。ナイトマーケットでみやげ物を冷やかしたりして帰る。一日が長い。
■11/15(金)
もう帰るだけだ。午前中はインスタ映えカフェなどぶらぶらしながら、町を一周したり。ルアンパバンは思っていたより拝観料などで削られてお金がかかったな。
AirAsiaで18時前にドンムアン空港に着いたら、成田行きが深夜2時半発なので荷物を預けて町に出る。ドンムアンから都心に出るのは面倒かと思いきや、バスでモーチットまで出て地下鉄かBTSに乗り換えれば、渋滞にも合わずに済んでしまう。地下鉄に乗って、夜市のインスタ映えが撮れるショッピングセンターに行ってみる。自分で撮ってみると、ネットで見るほどには鮮やかではない。ずいぶん盛ってんだな。最後に美味しいものを食べようと思ってMKに入り、言われるままにKurobutaTomyamとか頼んでたら2人分ぐらいの量が出てきて往生する。
空港に戻ってシャワーを浴びたり、すっかりドンムアン空港に詳しくなってしまう。2時半発のフライトはやっぱり搭乗が一時間ぐらい遅れて乗るまでに疲れてしまう。LCCは空港滞在時間が長い。
タイは旅行しやすくていい。コムローイも体験できたし、年末年始でも夏休みでもなんでもないときに一週間楽しめてよかった。
四国に行った(201904)
改元に伴い大型連休となったが、海外行きのチケットも高いので、また寝台列車に乗ることにした。
こんどはサンライズ瀬戸で、四国である。四国の百名山は惹かれるものがないが、剣山から三嶺の方へ抜けるとよさそうだ。三嶺からは名頃に下りるのが普通のようだが、来た方に戻るのもつまらないし、二重かずら橋という観光名所があるので道が混む可能性がある。ということで、高知の光石登山口に降りて、「影」というバス停まで歩いてバスで土佐山田に出ることにした(このバスの時刻がなかなか出てこなくて大変だった)。
■4/27-28(土)
2200発のサンライズ瀬戸。車両の端の上下ぶち抜きの部屋で、開放感があっていいわい、と思ってたら車両の端だけあって結構揺れて寝にくい。高松から池谷で乗り換えて鳴門駅で下車、バスで鳴門の渦の道までバスで行く。ザックをコインロッカーに預けて渦潮を見に行くが、時間が合わずまったく発生していない。天気はよくて景色はよい。鯛の漬け丼を食べる。
バスで徳島に出る。宿に荷物を置いて、阿波踊りセンターから眉山へのロープウェイに乗る。阿波踊りセンターもよく分からないが、眉山の上にパゴダがあって???となる。ここも景色はよい。夜は徳島ラーメンを食べた。豚ばら肉で甘口。わりと好み。
■4/29(月)
徳島線で貞光まで行って剣山の登山口(見ノ越)まで行くのだが、手前の穴吹にうだつの町並みがあるので見ていく。穴吹駅にロッカーはないが駅で荷物預かりをしている。ちょっと距離があるので、行きはタクシー、帰りはバスに時刻を合わせて戻ってきた。吉野川の土手に上がると沈下橋が見えてよい。
貞光駅でたけしと合流。バスはマイクロバス。途中で一度乗り換えるのだが、そこから雨が降ってきた。見ノ越の駐車場で仕度をして、雨の中、今日の宿の一ノ森ヒュッテに向かう。
森の中は雨だがコケの具合がすごくよい。後で聞くと霧が多いのでよく育つのだそうだ。一ノ森ヒュッテはキャンセルがあいついで宿泊客は5人。もともと参拝客向けの宿だったが今は市営で委託されている。3段ベッド×2の部屋を二人で使ってよかった。管理人が話好き。
■4/30(火)
たけしが朝ドラを見てから出発。剣山山頂は展望なし。次郎笈の水場(名水)もよくわからず通り過ぎる。丸山避難小屋で休憩をする。天気が悪いのでここから下山する家族連れもいた。白髪避難小屋にはだいたいコースタイムで到着。先客3名で雨だったので僕は小屋に泊まり、たけしはテント。時間が遅くなるにつれ人が増えてきて最終的には10人弱になったようだ。先客の一人で千葉の人は、破線の石立山からきたという。すごいな。
■5/1(水)
令和になった。特に何もなし。やはりガスっている。三嶺のあと、尾根沿いに廻るつもりだったが、お亀岩避難小屋(人気らしい)からまっすぐ沢筋を下山することにした。ネットでこの辺は台風で荒廃したとあったのでやや不安。
三嶺の直前は急なのぼり。池の周りも展望なし。三嶺の小屋はよさそうだったので、水があればよいと思う。ガスの中をお亀岩避難小屋まで歩く。ここも水場が近くてストーブまであっていい小屋だ。昨日とまった白髪避難小屋もこれぐらい整備して欲しい。休憩して下る。沢沿いで源流間があってよい。渡渉が何回かあるが雨がなかったら涸れているところもありそうだ。鹿がいた。
やや荒れ気味のトラバースもあったが、八丁ヒュッテのあたりで、こっちじゃなくてフスベヨリ谷方面は危険との札が立っていた。そっち側がもっと崩落しているようだ。
堂床キャンプ場に到着。キャンプ場とは名ばかりで何もない。川がきれい。水場は下山口方向にちょっと行ったところにある。水汲みついでに光石登山口まで偵察。トイレがきれいだったので用を済ますなど。キャンプ場は他に人も居らず快適に過ごす。
■5/2(木)
バスを逃すと危ないので、早めに出発。影の素朴な集落。またマイクロバスのコミュニティバスに乗る。バスではしきりにダムの水位が例年より低い話をしている。大栃で乗り換えて、土佐山田からJRで高知に出る。
宿(ここのオーナーも話好きの山の人だった)に荷物を預けて、食事&風呂。ホテルの風呂で温泉で快適。その後自由行動で、高知城をみるなど。やや頭痛くなって早く宿に戻る。たけしと合流して夕飯はちゃんとしたところで郷土料理。さすがにかつおなどうまい。
■5/3(金)
もともと、高知では仁淀川のキャンプ場に行きたかったのだが時間がなかったので町泊まりにした。往生際わるく仁淀川を調べたら和紙のこいのぼりを流すイベントを5/3-5でやるらしいのでみにいく。高知から電車で波川からが一番近いようだが、通過待ちがあるので手前の駅で降りて歩く。橋の上から見るのがよいようだった。もっと天気がよいと、こいのぼりの影が川底に映ってよいらしい。紙の博物館みたいのを覗いて高知に戻り、宿で荷物を回収してバスで空港へ。恙無く帰還。
201802網走
2回目の北海道である。前回は夏で、女満別空港から雌阿寒岳、羅臼岳に登り、網走あたりを観光したのだった。
今回もやっぱり女満別空港行きで流氷を見て、それから軽めのスノーシューを楽しもうという趣向だ。発端は一年前の年末年始、ネパールのABCトレッキングにさかのぼる。トレッキング中に知り合ったHさんが冬の間は女満別で仕事をしているというので、そういえば流氷をまだ見たことがないので見てみたいな、と思っていたら、今年は例年になく寒いので、ほんとに伺うことにしたのだ。
3月になると流氷も終わってしまうらしいので、2月の末、3/23(金)夕刻の飛行機で女満別に入り、3/25(日)の午後便で帰京する慌しいスケジュール。行きは幸いにしてマイルで取れた。
久しぶりに羽田の国内線でチェックインをしたら、荷物預けが無人(自動)になっていて驚いた。ザックの背中にスノーシューをくくりつけた状態で預けたので大丈夫かな?と思ったが、特に何もなく無事女満別で受け取れた。女満別から網走まではバスだ。流氷を見る砕氷船のおーろら号は道の駅から出るので、その近くに宿を取っていたので、網走のバスターミナルから少し歩く。寒い。ホテルは夕食なしなので、町に出ると飲む所、それもスナック的なところばかりで食事をするところが少ない。ケンタッキーを見つけてほっとする。さすが網走、場末感が半端ない。もっとも、この辺は観光地だからかもしれない。
翌日、土曜日、Hさんが6時に車で迎えに来てくれる。天気もよさそうなので、いっちょ斜里岳(南峰)に登りましょう、ということで斜里方面に向かう。原生花園のあたりで日が昇ってきた。車を止めてもらって海岸に出てみると、早速、一面流氷だ。いきなり膝ラッセルではしゃぐ。
斜里のコンビニで買い物をして、根北峠に到着。何台か車が止まっている。スノーシューを履いて8時ごろ、樹林帯に入る。先行者のトレースがあるが、人気はなく静かで気分がいい。
1時間半ぐらい歩いて森を抜けると展望が開ける。左に斜里岳南峰、右に斜里岳東峰が見えて、真ん中に谷がある。谷を登りつめた奥に本峰があるようだがここからは見えない。上の方は雪煙が上がっていて寒そうだ。ここでHさんと相談して、天気もよくコンディションがよいので、東峰に登りましょうということになった。
一度、谷筋まで降りて、谷に沿って上っていく。夏はほぼ涸れ沢で、こちらからは登れないらしい。先ほどまでの先行者の足跡は別ルートに行ったのか無くなり、まったくの新雪歩きでテンションが上がる。
途中、孔があいていて川の水が見えたり、青いきれいな氷瀑があったり、非常に楽しい。振り返ると、うっすらたなびいて見えるのは国後島だそうだ。
12時半ぐらいに鞍部の手前に到着し、スノーシューからアイゼンに履き替える。風が強い。ここでうっかり耳当てを落としてしまい、おむすびころりんっぽくころころと転がり落ち、あっという間に見えなくなってしまった。Hさんが拾いにいってくれたが、残念ながら捕まらず。とかなんとか休憩をとったりしたりしているうちに、風が弱くなり青空も見えてきた。急になった傾斜をゆっくりと斜里岳本峰と東峰の鞍部まで登ると、目の前にのっぺりした斜里岳の山頂が見えて、見渡すとオホーツク海に浮かぶ流氷、テーブルのような海別岳、屈斜路湖などが目に飛び込んでくる。まさか自分が山上から流氷をみられるとは思っていなかったので感動である。
そこから一登り、14時ぐらいに斜里岳東峰に登頂。見晴らしは良いのだが、その分怖い。高所恐怖症なので、風景もそこそこに降りてしまったので、ちょっともったいなかった。
適当なところからショートカットして下り、やや迷いつつも往路に合流。行きに見た氷瀑まで降りてきたら、先行していたHさんがありましたよ!という。何だろうと思ったら、なくしたと思った耳当てが落ちている。後でログをみたら、水平距離で500m、垂直で200mも転がっていたのである。山でなくしたものを回収できるのは珍しいので、大事にしようと思った。
だんだん疲れてきて、根北峠に戻ったのは暗くなりかけの18時前であった。驚きの9時間半行動である。スノーシューでよくこんなに動けたと思う。我ながらよほど楽しかったのだろう。
夕食は、斜里のHさんお勧めの店でいくら丼。サケマスのメッカということはいくらのメッカでもあるのだ。たしかに粒がしっかり大きくてうまい!
ホテルに戻るとオリンピックで地元北見のチームのカーリング女子の3位決定戦をやっていたが、眠気に負けて直ぐ寝てしまった。
二日目も、Hさんが車で迎えに来てくれて、能取岬から流氷を見て、海岸線に下りてアイスクライマーがやっているのを眺める。崖になっていて、地面が暖かいので雪が解けて凍って氷瀑ができるのだそうだ。オホーツク海を背にしたクライミングは爽快そうだ。
さて、目的だったおーろら号も斜里岳の前にかすんでしまったが、Hさんも一緒に乗ることにした。何でも、前日まで氷が厚すぎて湾内周航をしていて、昨日の最終便だけ久しぶりに湾外に出られたそうである。この日もたくさん流氷が浮かぶ中をクルージングできたので、まったく運が良い。船は2隻でるが、どちらも満員。外国人観光客が多いようだ。甲板に出ると、昨日の斜里岳や海別岳、知床連山もうっすら見える。下の階に下りると、目の前に流氷の塊が流れてくるので迫力がある。オジロワシと思われる鳥もいた。
昼飯はミートソースのスパゲティにカツが乗っているスパカツ。鉄板に乗っているのでなおさら迫力がある。根室の名物らしい。カロリー過剰なようだが、-15度なのでこれぐらいでちょうどいいような気もする。Hさんに空港まで送ってもらって分かれる。最初から最後まで完全にお世話になってしまった。ネパールに行かなかったら流氷もみてなかっただろうな、と思うと不思議である。
201802蔵王
今回の蔵王は一年越しの計画である。
去年、蔵王に樹氷を見に行ったときに、かせ鳥という奇祭?奇習?を上山でやっているのを知ったのが発端で、5月ぐらいには月岡ホテルを予約し、10月の参加申し込みではUさんが当選!かせ鳥の中の人になることになった。
年が明けてKさんも参戦することになってからも、蔵王の火山活動が活発化してレベル2の「火口周辺規制」になり御釜まで行けなくなってしまったり、Fさんがインフルエンザで離脱したり、なかなか予断を赦さない状況であった。
■1日目(2/10)
かせ鳥は2/11なので、前日早く行って蔵王の樹氷を楽しむことにする。
ホテルに戻ってバイキングの夕食も美味しい。Uさんは心なしか緊張しているようである。
■2日目(2/11)
いよいよかせ鳥当日。Uさんは8時半に集合場所に向かう。僕らは10時に上山城で合流。Uさんは着くなり酒を飲まされたそうだ。上山城で祈願式のあと、A、B、C班に分かれて町を練り歩く。Uさんがどの班か事前には分からなかったが、リアルタイムにSNSで連絡をくれたので助かった。A班であった。
上山城で祝詞あげたり儀式的なやつ。
城をでてから、ゆるい感じで歩いていくので、ついていく。しきっているおじさんが、はいここでやりまーす、というとカッカッカッーのカッカッカッー、とかせ鳥の唄?を歌いながらぐるぐる廻る。
わらの唐傘のようなものをかぶっているので誰が誰だかわからないが、よく見るとUさんの顔が出てる。
地元の商店がバケツに水を用意してひしゃくでかけるのだけど、本当に冷たそうだ。たまにバケツでそのままかぶせてくる人もいる。
後で聞くと、冷たいよりわらが素肌に当たって痛いそうである。
1時間ぐらいついて練り歩いていくと、町のはずれで終了、待機していたタクシーに乗り込んでいく。わらの唐傘を脱いだ姿が寒々しいというか痛々しい。
練り歩き。わらが落ちてるのを拾うと縁起物らしい。抜いてはいけない。
ここで彼らは駅に運ばれたり、葉山地区に運ばれたりしてまた演舞をするので、僕らは分かれて、そば屋で昼飯。午後は上山城を見物したりふらふら。
Uさんは夜は打ち上げ宴会。お疲れ様でした。
■3日目(2/12)
帰りは、せっかくなので仙山線で山寺に行ってみる。3人とも古いのもが好きなのである。
この日は天気が急速に悪化して、山形駅のホームにもすぐ雪が積もって雪かきをしていた。これが昨日だったらかせ鳥もより大変だったろう。1,2日目が晴れていてラッキーだった。
山寺は階段が雪に埋まってつるつるの滑り台になっていて、下りに気を使ったが真っ白でいい雰囲気であった。
僕は山寺駅で分かれて仙台に向かった。二人は帰りの新幹線の指定が満席で取れなかったので、山形始発に並んで座っていたそうだ。